自分史。ただの事務しか出来なかった奴が調理師になった話。
今月で辞める。。。
平均勤務年月2年以下だったワタシが8年も勤めたのは奇跡だったと思う。
長いこと、派遣やらなんやらで事務職ジプシーだったワタシが、40過ぎて調理師を目指した。
またどこかで書くと思うけど、料理もまぁ好きな方なんだけど、とにかく「居酒屋」が大好きだったワタシ。
でっかくて遠い遠い、果てしなく遠い夢は「居酒屋をやること」。。。だったり、した。えへへ。
果てしなく、遠い夢だけど考えてみた。
居酒屋をやるのに調理師免許がいらないのは知ってたけど、なんとなく「プロ」になるにはやっぱりある方がいいのかなぁって考えて。
調理師免許を取得するには2年間の就業実績が必要で。
そんなワタシが見つけた今の職場が、未経験でもオッケーで、自宅から自転車10分のデイサービスの厨房だった。まぁ運命っちゃあ運命だったんだろうなぁ。
想像はしていたが。
ほんっと~~~~にほんっっっと~~~~~~に。
調理の仕事ってやっぱ正直ハードワークよ。
ざ・肉体労働。
それまでぬるーい仕事しかしてこなかったワタシは、あまりのキツさに最初の数カ月の記憶がなかった日もあったし。周りが出来ることが出来なくて、食品庫で一人で泣きそうになるのをこらえたり。
はたまたアレルギーの人に禁止食を間違えて出してしまった時なんて、こっちの寿命が縮む思いをした。
毎年のように挫折しては辞めたいなぁ~って思いつつ、けどやっぱり自分が作ったものを食べてくれて、喜んでくれる人がいる仕事って、なかなかのやりがいがあった。
ワタシが勤めていたセンターは、社内でも料理の味で地域一番店を目指せる!と言われるほどの、評判の厨房だった。
毎月、独自のメニューでおもてなし御膳を作ったり、おやつも手作りのケーキやらおまんじゅうやら。
紅白まんじゅうはワタシの担当だったんだけど、赤白合わせて140個のまんじゅうの仕込みを一人でやるのはなかなかよ。マジで。
ほんっとうに大変だったけど、振り返れば楽しかったことしか思い出さない。
けど。
今から3年前にその状況は一変した。
県内の別のセンターで、こんにゃくをのどに詰まらせてしまったお客様が出た。残念なことに、状況はその後最悪の展開になってしまった。
長くなるだろう裁判で、担当になった顧問弁護士から「本社が管理していない食材で提供するなんてどうなってるんですか?」と言ったとかなんだとか。
現場を知らない法律家や政治家たちが、世の中を窮屈にすることは多々ある。この事件をきっかけに、会社の方針は大きく変わった。
まず、本社が一括管理できるようにと、ある食材業者に丸投げのシステムを採用した。介護保険法が変わったこともあり、食費やその食事を作るワタシたち人件費が削減の対象になったのだ。
それまで手作りで作っていたハンバーグは、イ○イのハンバーグみたいな、いかにもな冷凍ものに変わった。
生の野菜は冷凍野菜に変わり、手作りケーキがホットケーキミックスに変わった。
あまりにキツくて辞めたくなったことは何度もあったけど、会社のあまりの方針転換に、すっかり「やりがい」をなくしたワタシは退職を考えるようになったのでした。