自分史。「職歴」。
今日は八宝菜と卵スープ。
実はちょっと制限しすぎたみたいで、急激に体重が減ってしまって。
一カ月で2キロ強はちょっとペースが早すぎて、なんか体が萎んできたし(;'∀')。
体重が増えても焦るけど減らし過ぎもヤバいし、イソジってなんなんだっ!!
なめダス。
イソジ、ダイエットの加減がわからず憤り。。。。。
そんなわけで。
昨日急遽、8年ぶりに履歴書を書きました。
履歴書。。。
みなさんは、人生の中で何枚の履歴書を書かれましたか?
あたしゃね~~~~~~。。。。。。。。。。。。。。
たぶん、20回くらいは書いたかな?あはは。
多いですかね?
多いよね?
自分でも思うもん。
とにかく、と~に~か~く~。続けることが一番苦手だったワタシ。
今日のは軽く自分史になっちゃうので、つまんないな~という方はスルーしてください(笑)。
ワタシの思い出せるだけの職歴。
20~22歳 結婚式場に新卒で入社。ブライダル部に入りたかったのに短大卒だって理由だけで経理課に。
1年後、業績不振で冠婚がつぶれて葬祭に回された。
事務所が棺の通り道になっていて、若かりし自分は怖すぎて、結果2年で辞めた。
23歳、錦糸町でなんか事務やったなぁ。
結婚したばっかりで、母親に言われてハローワークで探した職場だったんだけど、いわゆるコピー取りっての。めちゃくちゃつまんなくて半年で辞めた。
24歳で不動産会社のアルバイト。車を運転して現地調査ってやつ。これは意外に楽しくて2年続いた。けど、父親が会社を首になって稼がなきゃいけなくなって辞めた。
25歳。ある大手通信会社にて、春の引っ越し手続きのテレオペを派遣で行く。
当時、船橋で1350円は破格の値段だった。が、覚えることがべらぼーに多すぎてめっちゃ大変だった。
けど、ここのご縁で短期のバイトが終わった後、その会社の窓口業務に契約社員で入らせてもらう。
ここの仕事も楽しくて2年近くやれたけど、民営化されて10年経っていても、お年寄りほど「公共事業のくせになんだその生意気な態度は!!」的なクレーマーが定期的にやってくるような仕事だった。もう電話なんか電気屋で勝手に買えっての。
29歳。。。とあるヨコシマな事情で転職を。またも葬儀屋の正社員になり、施設長代理みたいな真似事を10カ月くらいやったけど、それこそヨコシマな事情で辞めた。
・・・人生長いことやってるといろいろあるよねぇ。
30歳。
その、ヨコシマな出来事からひきこもり暗黒時代に突入し、デブ人生が始まる。
表に出れる仕事に付けなくなったので、裏方世界に入る。
31歳で、データ入力の仕事に就く。
ローマ字よりかな入力の方が早くなると言われ、タイピングの種類を変えてみたりして、わりと早い部類になれる。
能力が上がれば時給が上がると言われてけっこう頑張ったのに、いざタイピング速度が上がった一年後、「フルタイムの人じゃないと時給は変えられないんです。」と言われ辞めた。ふざけんなっ。
けど、だいぶ技術がついたので同じデータ入力で仕事を探し、ある大手銀行の振込入力センターに派遣で入る。この時、同僚は確か80人くらいの同時入社だったと思う。
時間も16時までだったし。データ入力はなんせ人と話さないから楽だし。そして、ちゃんと打刻数が多い分評価もしてくれたので、人生まっくす時給1700円をもらうことが出来た。
たぶん3年近くいたのかなぁ。ワタシの割には長くいたねぇ。
けど、打刻が多ければ当然ミスの数も多くなるという当たり前の図式なのに、最後の1年くらいは、ミス一件に一枚『始末書』なるものを提出しろと命令が下り、バカらしくなって辞めた。ま、飽きてたしね。
関係ないけど、その時40才。占い的に言うと、『天中殺』だったらしい。
天中殺に動くとね。もう二度とその仕事に就けないんだって~。
もうね。
確かにその後、まったくと言っていいほど仕事の当たりが悪かった。
「データ入力」
と募集がかかっていったのに、短時間勤務の営業事務。しかも、人手が足りてる日は呼ばないから、とか。
「データ入力」
と書いてあったのに、データのチェックがほとんど。ただファイルを読み上げるだけ~。ただ蛍光ペンで印をつけるだけ~。みたいな。
もうほんとに。つまらない仕事ばかりに出会うサイクルにはまっちゃって。
その頃に思ったんだよねぇ。
「もう40だし。なんか自分の『好きなこと』を仕事にしてみたいなぁ。」
ってね。
それで一念発起して、ワタシは飲食の仕事をすることに決めたのでした。。。
あ~ほんと。
無駄に長い記事ですみません。
つづきはまた。
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